月別アーカイブ: 2018年3月

書評:熊谷隆『確率論』(共立出版)

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書誌情報

タイトル:確率論
著者:熊谷隆
出版社:共立出版
共立出版の書誌情報ページ

本の内容と特徴

測度論的確率論の入門書です. 付録に測度論の基礎的な内容が証明抜きでまとめてありますが, 全く予備知識がない状態で読むのは難しいかもしれません. 章立ては以下のようになっています.
各章のより詳しい内容は共立出版の書誌情報ページで見られます.

第1章 確率論の基礎
第2章 いろいろな確率過程
第3章 電気回路とランダムウォーク
付録A ルベーグ積分論の基本的定理
付録B 問題の解答


付録を除くと3章のみとコンパクトに見えますが, ページ数は200ページほどあり, 特別薄い本という訳ではありません. この本の構成は大きく1,2章と3章の2つにわけられます. 1,2章では大数の法則, 中心極限定理, マルチンゲールの初歩といった入門書では定番の内容を扱い, 3章では有限グラフ上のマルコフ過程をポテンシャル論の立場から論じるという多少具体的な内容を扱っています. 1,2章と3章の違いは内容の一般性の差だけでなく, 取り扱いのスタイルも異なります.

1,2章の内容が基礎理論の初歩の紹介であるのに対し, 3章は枠組みに少し強めの制限を課す代わりに深い部分まで論じています. より詳しく言うと, 1,2章の内容は概ね基礎概念の定義から容易に引き出せる主張の紹介に留まるのに対し, 3章はマルコフ過程のポテンシャル論的な取り扱いという広大な一般論の入門的部分を有限グラフという簡単な場合に限って論じており,  都度必要な概念を定義し, それらの基本的な性質を引き出し, 一般的な主張を導くというプロセスの繰り返し, つまり特定の理論を紹介する数学書の標準的スタイルで書かれています. 1,2章がパッと読んでも楽しめるのに対し, 3章は様々な概念, 命題を積み上げて初めて面白さがわかるものになっています.

1,2章の特徴は2点あり, 1つは既に取り扱いの定まった古典的内容を一般的に論じるだけでなく興味深い応用を随所に加えながら紹介している点, もう1つは入門書で取り扱われることは少ないものの早い段階で知っておくべき内容を多数含んでいる点です. 具体的には大数の法則を用いてワイエルシュトラスの多項式近似定理を証明したり, マルチンゲールの応用として最適戦術やオプションの価格付けを論じたり, 大偏差原理の入門的な内容が証明付きで載っていたりします. 注目すべき点としては, 簡単な場合を扱っているとはいえ, これらの内容がほぼself-containedに記されているという点です. ただ多数の応用を扱っている分, 一般論の内容が他の入門書と比べて少なめになっています. 例えば大数の強法則は4次モーメントの存在を仮定して示していますし, マルチンゲールの一般論に関してはほぼ任意抽出定理のみしか扱っておらず, ドゥーブの不等式や概収束定理などには全く触れられていません.

3章は有限グラフ上のポテンシャル論を用いてマルコフ過程を構成, 解析していくという内容です. タイトルにあるように電気回路という概念が現れます, これは中学, 高校で扱ったような電気回路を数学的に定式化したもので非常にわかりやすいものです. オームの法則やキルヒホッフの法則も数学的に定式化されます. これらの非常に単純かつ馴染みのある概念から出発し, マルコフ過程を電気回路上を運動する電荷をもった粒子の軌跡として構成します. つまり抵抗の大きな道は通りにくく抵抗の少ない道は通りやすいという性質を持った粒子の運動と直観的に解釈できるものです. ここで注意したいのはマルコフ過程を構成するだけなら別に電気回路を用いずとも, 例えば遷移行列を与えればできるわけですが, この方法をとることの利点として, マルコフ過程を見るだけでは一見非自明な主張が電気回路的(ポテンシャル論的)に解釈すると簡単に分かったり, 逆にポテンシャル論な概念を確率過程の言葉に翻訳することで議論が明快になるという点があり, それらの威力がこの章の中で遺憾なく発揮されています.

3章では一般論だけでなく応用も論じられています. 電気回路を用いたデーンの定理の証明や無限グラフ上のランダムウォークの再帰性などどれも高度に非自明な結果に対し, 必ずしも簡単ではないものの見通しの良い方法で証明を与えています.

総評

上にも記したようにこの本は1,2章と3章で内容の一般性, 記述のスタイルが異なるため全体を一括で評価することはできません. しかしそれぞれの部分が良くできた良書だと思います.

1,2章の内容は「定番の内容+α」からなると書きましたが, +αの部分が素晴らしいです. 入門書を読んでよくあることとして, 完成された定理, 理論の鑑賞者に留まってしまうというのがあります. つまり読み通せはするものの次に何を勉強したらよいか分からないという状態です. この本では随所に応用が載っており, さらに幅広い入門的内容を紹介しているため次に学びたい内容を見つけやすいように配慮されています. ただその分各内容の記述が少なめだったり, 仮定が強かったり, 証明が多少天下り的だったりしますが, 様々な応用の魅力の一端を伝えるのには十分な役割を果たしていると言えるでしょう. また各応用に対してコメント付きで参考文献が紹介されているのも非常に有益です.

3章で論じられている内容はディリクレ形式を用いて 有限グラフに限らずより一般の空間で展開することができますが, ディリクレ形式は抽象的で敷居が高く, 学ぶには忍耐が必要です. この本では有限グラフ上に議論を制限することが功を奏し, 細かい部分に煩わされることなくポテンシャル論的なマルコフ過程論の入門部分を学ぶことができます. 完成度はかなり高く, 類書もなく稀有な内容だと思います.

全体としてこの本は読んでおいて損は無い本だと思います.  1,2章で触れられている話題は誰でも知っておいた方が良いことばかりなので, 他の入門書を読んだ人でも拾い読みするといいと思います. 一方で各項目の記述は浅めなのでこれだけで入門というのは少し勧められません. 3章は誰にでも必要とは言えませんが, 綺麗にまとまっているので一見して興味が無くとも時間があれば読んでみると良いでしょう.

書評:舟木直久『確率論』(朝倉書店)

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書誌情報

タイトル:確率論
著者:舟木直久
出版社:朝倉書店
朝倉書店| 確率論

本の内容

測度論的確率論の入門書です. 予備知識としては測度論の基本的な部分は必要ですが確率論については全く予備知識を必要としません. 章立ては以下のようになっています.

1. 確率論を学ぶにあたって
2. 確率論の基礎概念
3. 条件つき確率と独立性
4. 大数の法則
5. 中心極限定理と少数の法則
6. マルチンゲール
7. マルコフ過程


1章は「確率論を学ぶにあたって」という名の通り, 確率論がどのような分野かを紹介しています. 特徴としては「何故確率論を測度論で定式化するか」, より詳しくは「何故可算個の集合の和をとる操作で閉じた体系が欲しいのか」を強調して書いてあり, 天下り的に確率空間を定義するのではなく, その様な定式化に至る歴史的経緯を説明しています. この説明を読むと「有限加法性を考えるだけでは捉えきれない現象を捉えるための自然な拡張」として完全加法性が必要になることがよく分かります.

2章目からは通常の数学書のスタイルで話が進んでいきます. 2章は基礎概念の定義と基本的な性質の説明にあてられています. 確率空間, 確率変数, 分布の定義に始まり, ファトゥの補題, ルベーグの収束定理といった測度論の基本的な収束定理の復習(流石にこれらの証明は省略されています)と進み, 最後に一様可積分性についてまとめてあります. このように2章は概ね簡単な内容のみからなりますが, 一様可積分性について必要最低限の内容がコンパクトにまとまっているのが印象的です. 他の入門書で学んだ人がこの部分だけ取り出して読むというような使い方もできると思います.

3章では条件付確率と独立性を扱っています. 扱っている内容は初等的な内容のみです. ただし取り扱いには工夫が凝らされています. 独立性の定義は概ね高校で扱ってきたものの延長上にあるものなのでそれほど抵抗なく受け入れられるものだと思いますが, 条件付確率の方は定義を見るだけでは中々それを条件付確率と呼ぶ理由が分かりにくいものです. 条件付き確率は一般に確率空間とその部分σ-fieldから定まりますが, この本ではまず, 事象に対する条件付確率(高校以来の素朴な定義)から始まり, 次に確率空間の有限分割に対する条件付確率と進み, 最後に一般的な部分σ-fieldに対する条件付確率というように進んでいきます. このように条件付確率の定式化が自然に見えるように予備的な説明に時間をかけており初学者に対する学習コストを軽減しようという意図が感じられます.

4章のタイトルは「大数の法則」です. 名前の通り大数の法則のみに1つの章を割いています. ページ数も10ページほどで少ないです. 内容は大きく2つで, 1つは独立確率変数列に対する大数の強法則, もう1つは独立同分布確率変数列に対する大数の強法則です. もちろん弱法則も扱っていますが簡単なのですぐに終わります. 扱いは標準的ですが, 独立同分布確率変数列に対する大数の強法則を期待値有限のみの仮定で証明してあるのは案外珍しいかもしれません.

5章は「中心極限定理と少数の法則」とありますが, 内容の大部分は確率測度の弱収束や特性関数の基本的な性質の整理にあてられています. 内容は標準的です. ボホナーの定理を扱っているのは少し珍しいかもしれません.

6章は「マルチンゲール」です. 離散時間の場合を扱っています. 連続時間の場合は離散時間の極限として得られるので結果のみが書いてあります. 内容は標準的で, 入門レベルで学ぶべきことはすべて書いてあります.

最後の章である7章は「マルコフ過程」となっています. 前半でマルコフ連鎖の一般的な内容を紹介し, 後半ではランダムウォークを扱っています. ここで扱っているのは離散時間のマルコフ連鎖のみです. 一般にはより広い枠組みでマルコフ過程を扱うことができますし, 必要にもなりますが, 離散時間のマルコフ連鎖は少ない準備で確率過程の典型的な話が出来, 議論も簡単という利点があるため入門書であることを考えると適切な選択だと思います. 内容は基礎的な内容のみで扱いも標準的です. 最終到達点は有限状態空間におけるマルコフ連鎖のエルゴード定理です. ランダムウォークに関しても基礎的な内容のみが記されています. 再帰性の判定条件や整数格子上のランダムウォークの再帰性・非再帰性など. この章全体に対して言えるのはマルコフ過程にせよランダムウォークにせよこれだけの内容では基礎としても不十分ということです. つまりこの章は分野の紹介にあてられていると捉えるのが良いです.

総評

この本の大きな特徴は記述の丁寧さです. 初学者にはとっつきにくい概念の導入に多くの説明が付され, 証明はほとんど飛躍なく書かれています. 内容の割にはページ数が多いですが, これは説明の丁寧さによるものなので読むのに苦労することは無いでしょう. 他の特徴としては基礎中の基礎のみに内容を絞り, その分基礎事項を漏れなく解説していることが挙げられます. 確率論は今や広大な分野があり, 入門書といってもトピックの選択は様々なものがあり得ます. その中でこの本のトピックの選択は保守的なものです. 古典的ですが確率論のどの分野に進むとしても必須の知識のみが書いてあります.

この本が有益となる読者は「確率論に(漠然とではあっても)関心を持っており, ちゃんと学び始めたいと考えている人」だと思います. 何故「確率論に(漠然とではあっても)関心を持っており」と前置きしたかと言うと, 確率論について全く知らない人にはあまり勧められないからです. 何故ならこの本は殆どの部分が一般論にあてられており, (個人の感覚に依存するとは思いますが) それほど面白くはありません. 綺麗に内容がまとまっているだけにむしろ, この本を読んだ後にどこへ進むべきかの指針も立てにくいです. また確率論の一般論はかなり完成されており今は具体的なトピックに目を向ける時代だと思います. 具体的な問題は山ほどあります. そのため具体的なトピックを念頭に置かず一般論を学ぶのはあまりお勧めできません. ただ進みたい方向が曖昧にでも定まっている人にとってはかなりお勧めです. 具体的なトピックに関するテキスト若しくは論文を読もうとすると大抵の場合はこの本のレベルの事は前提とされます. その都度適当なテキストを見て対処するというのも不可能ではありませんがこの程度の知識は事前にまとめて仕入れておいた方が楽だと思います. そのような目的で何か1冊読もうというときに, この本は適しているでしょう.